オーダースーツ札幌
小景コラム
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STYLE EVERGREEN

 

Peter O'Toole 1932-    

英国のクラシックモーターサイクル【ブラウ・シュペーリア Brough Superior】1920年創業、顧客の注文に応じてオリジナルの車両を組み上げるカスタム・ビルダーで、実質活動した20年間のうち生産台数は僅か3千台ほどだったという、鉄の名馬。
1935年春、南英ドーセット州の田園風景に、Vツインの乾いたサウンドが響きわたる。
ジョージと名づけたこの愛馬を駆り、猛スピードでこの世を走り去った男【T.E.ロレンス 1883-1935】無冠の帝王はここで史実にピリオドが打たれた。しかし伝説に終幕はない。砂漠の英雄、戦乱のあだ花・・・奔放不羈(き)と自己神秘に陽炎(かげろう)のごとく屈折したカリスマ【アラビアのロレンス】とは何者だったのだろうか。

アラビア語を操る諜報工作員、しかしベクトルは職業軍人に非(あら)ず。もとを辿(たど)れば孤独を愛する青年考古学者。その正体いまだ定まらず。彼の死後から四半世紀が過ぎ、紆余曲折を経てデイヴィッド・リーン監督作【アラビアのロレンス 1961】は完成した。これはロレンスの遺稿【知恵の七柱】をもとに、第一次大戦下の中東で彼が反トルコのアラブ戦士を率いた、少壮気鋭の二年間に限定した抄訳。
当初彼の任務は、多士済々の部族間に戦局の探りを入れる程度だった。だが砂漠で寝食を共にし、ときに捨て身の度胸と忍耐が次第にベドウィン達の心を掴んでいく。アラブ独立を大義に、こうして一介の情報将校はいつしかゲリラ指導者に変貌した。ラクダと騎馬の一行はシナイ半島を縦横無尽。ロレンスの卓越した戦略眼が敵陣の砲台そびえるアカバ港を背後から貫き、目指すは一路ダマスカス。
これと裏腹に、政局はすでに戦後処理を睨んだ列強主導の駆け引きが暗躍。外交筋は場当たり的に秘密協定=空手形を乱発していた。彼の大義は果たして・・・?
この世の確かさと不確かさ、それは砂紋のごとく風向きによって目を変えてしまう。砂嵐が過ぎた後の地平線に燃ゆる旭日、ゆらめく蜃気楼も、況(いわん)や人間ロレンスの心象風景とかさなる。
圧巻、三時間半にも及ぶ砂漠と戦士の美しき映像叙事詩に、期せずして故人は本望かしらん。

英米欧州合作のプロジェクト、当初ロレンス役には既成のスターが続々と候補に挙がった。マーロン・ブランド、アラン・ドロン、モーリス・ロネ・・・いずれも契約に至らず。流れながれて当時まだ英劇界の一役者にすぎなかったピーター・オトゥールに白羽の矢が立つ。これが的中した。
陽に褪せた金髪、青く澄んだ瞳、やや面長の顔貌といい、まるでロレンス本人と見紛うほど。大きな違いは身長差だったが、それも杞憂だった。ストーリーの転機となる場面、カーキ色の制服を脱ぎ捨て、純白の民族衣装に着替えた190センチ丈の晴れ姿は、見事、広大な砂漠に不死鳥のごとく翼をしならせる。
演出にも地味な工夫があった。撮影ロケから美術に至るまで完璧主義のリーン監督は、英国軍人役の制服をサヴィルロウの老舗、ギーブス&ホークスに依頼。実際に大戦当時も彼の地の高級軍人向けに仕立てを請け負っており、その型紙をもとに衣装は製作された。ロレンス用の制服エピソードがふるっている。元来が組織にそぐわない異端者ぶりを醸し出すため、彼の制服だけは、わざとに誤った寸法で仕立て、それを幾度も洗濯機で不揃いに縮ませたという。ダメージ=ヴィンテージ加工の先取りだった。

これだけではない。制服に合わせた靴にまで、確かな審美眼が見られる。丈の短いトラウザースからチラチラと覗く茶色の革ブーツは、くるぶし周りをグルッと革のストラップに金具で締めるジョドファーブーツ【Jodhpur Boots】というもの。もとはインドの地名に由来し、英国植民地時代に現地での乗馬スタイルから派生したとされる。砂漠の行軍中、つかの間仮眠をとる彼の傍には、砂埃で煤(すす)け、色褪せたブーツが脱ぎ揃えてあった。
不思議なことに、オトゥールのながい脚とブーツの縁は切れない。その後オードリー・ヘプバーンと共演した軽妙洒脱な佳作【おしゃれ泥棒 1966】では、パリを舞台にツイードジャケットとモンクストラップ(甲周りを覆う型)のショートブーツを合わせていた。画像より、キャバルリーツイル・トラウザースのサイドシーム・ステッチ(脇縫い線の段差)も確認できる。スポーツカジュアルらしく伸縮性に長けた生地、野趣に富む仕様。
着こなすオトゥールのチャーミングな挙措(そ)は見逃せない。閑雅にして大胆。ジャガーE-Typeロードスターのドアを開けずに跨(また)いで乗り込み、微笑んでみせた。" pretty, isn't she ? "
名馬に名車・・・跨(またが)るものに目がない男のつぎなるターゲットこそ、女豹オードリーである。

 

Walter Matthau 1920-2000

事件の陰に美女ありけり。
世慣れた男でさえも
“ときにスイカズラのような香りがするとは、知らなかった・・・” と言って狂わせたのは【深夜の告白 1944】
かの人妻バーバラ・スタンウィックである。
作家レイモンド・チャンドラーとビリー・ワイルダー共作によるフィルム・ノワール古典の女優には、闇にまぎれ密造酒を口にするがごとく、男を痺(しび)れさせる危険な澱(おり)があった。

オードリーはちがう。透き通る美しさと口当たりにはカクテルグラスの誘惑が糸を引く。
手練のバーテンダーがするように、名代のクチュール・メゾンはこぞって彼女を新作コレクションのモチーフとした。グラスの縁に雪化粧を施し、仕上げはミントの葉を散らすかのように、ジバンシーのオートクチュールやカルティエのアクセサリーが妖精にさりげなく華を添える。
監督スタンリー・ドーネン、音楽はヘンリー・マンシーニが指揮棒ならぬシェーカーを振り、オードリーがとどめを刺す。予定調和さに非(あら)ず。かくして大人の娯楽サスペンス【シャレード 1963】という完全犯罪のカクテルが、グラスに注がれた。

逃亡スパイ、闇の商人、失踪した夫の秘密が突如次つぎと露わになる。パリのアメリカ大使館に呼ばれたマダム=オードリーを迎えた男は、ウォルター・マッソー。執務室のキャビネットからワインを供し、ポケットチーフで鼻を拭くと、おもむろに核心を衝(つ)いた。
“ ご主人はCIAの重要参考人でした。持ち逃げした金の在り処(か)を巡り奥様にも疑いが・・・”
と言って何事もなかったように、そそくさとポケットチーフを元に戻す。
彼一流の尋問が堂に入っている。オードリーも負けていない。大きな瞳をキラキラさせて
“ C.I.A...? どちらの航空会社かしら ” とジェットセッターを気取ってみせる。
打てば響くグラス越しの攻防。粋(すい)をきかせた大人のジェスチャーゲーム=Charadeという駆け引きに、狂言回しのケーリー・グラントさえ一杯食わされる始末。一体そのからくりとは?

第二次大戦中に従軍を経験した俳優は数多い。件(くだん)のマッソーもそのひとり。実際、戦地で彼の活躍ぶりは幾度も顕彰を受けたほどという。だが入隊は役者になる以前のことだった。紳士の鑑(かがみ)こと、ジミー・スチュワートがシネマスターからパイロットに転身した華々しさとは、いささか事情が異なる。不況下、定職の無い若者にとって、兵役は言わば渡りに船だったにちがいない。しかしこれが転機となる。軍内の劇団に誘われたことがきっかけで演劇に開眼したというからおもしろい。復員後にはブロードウェイデビューを果たした。これ塞翁(さいおう)が馬。上述ビリー・ワイルダーやニール・サイモン【おかしな二人】等、名だたる劇作家のマスターピースで、舞台、映画ともに人気を博す。とぼけた調子のなかにも一瞬、ジロリと相手を睥睨(へいげい)する面構えは、晩熟のひとゆえに年季がちがう。地下鉄ハイジャック犯と無線越しに渡り合う【サブウェイ・パニック 1974】でも、その不敵さは健在だった。

画像は【サボテンの花 1969】より。マッソー演ずるジュリアンは、マンハッタンで評判の開業医にしてプレイボーイ。仕事場では白衣姿だが、通勤にはスーツ、デートにはスポーツジャケットと、当時のミッドアトランティック・スタイルを自在にして魅せた。
アメリカン・クラシックとモードによる洗練。そこには、段返りラペルやミシンステッチ、フックベントなどの、トラッド然とした一目で分かる特徴はない。
おおらかな肩の稜線、過不足ない胴回り、そして筆先のように流れるフロントカットが、サックスーツ=紋切り型の固定観念を払拭。また、トラウザースの仕様をプレーンフロント(ノータック)・ベルトレス仕様にすることで、シルエットの動線もバリアフリーに。つかず離れずのそっと寄り添うシルエットは、昼夜を問わず大人の流儀に筋が立つ。

 

 

Jean-Louis Trintignant 1930-

“ 篠(しの)つく雨、男はドアを開けそとに飛び出す。傘は持っていない。顔をちょっとうつむけて、コートの襟を立ててから走り出す。それを見た瞬間、ああ、知っていると思った。
結婚して間もないころ、にわか雨が降ったとき、市電の停留所まで夫を迎えに行ったことがある。降(お)りしなに、たしかに私と視線が合ったのに、彼は私を置き去りにした。
あのときの彼もきっとおなじことだろう。イタリアでもすくなくとも数十年まえまで、傘は一種のステイタス・シンボルだった。そんなわけで・・・上着の前を閉めて走る人と、そうでない部類の人がいる ”
イタリア文学者、須賀敦子【雨のなかを走る男】より
早世した夫、彼の家族と過ごした街ミラノへの追憶の掌編だが、戦後のヨーロッパを肌身で知る人ならではの生活信条が偲ばれる。

あのときの彼、とおもわせる節(ふし)が、ここにもあった。
ベルナルド・ベルトルッチ監督作【暗殺の森 1970】の主人公マルチェッロ。
原題は【Il Comformista】順応主義者という。1930年代後半、ファシズモ支配の時勢に【普通の男】であることを証明すべく、自らに過度な切迫を強いた青年。正常か異常か、その中間はない。
ファシスタ党に入ることも、彼にとっては年ごろの娘と結婚することに等しい。普通の男であるがため。
しかし言い換えればそれも自我、自我に固執するほど、普通からは遠ざかる。
盲目の男が言った。“ 普通は他人(ひと)と違っていたいと願うものなのに、君は逆だね ”
必死に脳裏の隅へと追いやっていたコンプレックスこそ、外(ほか)ならぬ存在証明。
やがて戦時体制も逆転する。世の中は左様然(しか)らばごもっとも・・・
その孤独が痛ましい。

冬枯れのパリにいた。党から受けた指令は、政治亡命犯に接触し内偵すること。こうして
季節外れの新婚旅行を口実にマルチェッロは渡仏。反ファシズモの知的オルグのもとを訪ねる。だが、相手は学生時代の恩師だった。慧(けい)眼の士は、立ちどころにマルチェッロを見抜いてしまう。
“ どう見ても本物のファシスタとは思えん。賭けてもいい・・・いずれ君は変節する ”
新たな指令が下された。夜明け前、旧オルセー駅舎のホテルで迎えを待つ。窓の外はセーヌ川の朝霧にクラシックカーの黄色いヘッドライトが浮かんでは過ぎていく。電話が鳴った。コートの襟を立てて、金属とガラスによる幾何学的なファサードを抜ける。ナイーブな青年が非情な刺客と化すまでの沈黙の間が、またひとつ彼の脳裏に折りたたまれた。

物語はマルチェッロの回想というかたちで、パリやローマ、複数の場面が順不同に時間軸を行き交う。人間描写の下絵には、大戦前夜の緊張と退廃が、空間美術や装いを通して周到に塗り上げられていた。30'sスタイルをモチーフとしたピークド・ラペル(剣襟)スリーピーススーツや、大胆なバイアスカットのイヴニングドレスに毛皮を纏(まと)い、かりそめのコンチネンタル・タンゴに耽(ふけ)る。邸宅やホテルにはアールデコの調度、ファシスタ党施設はシュペアーのナチス様式、そして郊外のサナトリウムにおけるバウハウス的デザインなど、さながらベルトルッチ脳内パリ万博の様相。当時若干三十歳、青年監督の手腕恐るべし。

主演のジャン・ルイ・トランティニャンは四十歳だった。画竜点睛この人にあり。絵画のような構図の中に、長丈のチェスターフィールド・コートで中折れ帽を伏し目がちに歩く姿は、どことなく匿名性の翳りをもつ。それゆえ人間心理を突く映像作家の作品には欠かせない。元妻ステファーヌ・オードランと奇怪な三角関係に紛れる、クロード・シャブロル監督作【女鹿 1968】、イブ・モンタンと入れ替わるように向こうを張り、謎をひも解く検事に扮した【Z 1969】等。
顔を伏せて気配を漂わす。後(のち)に満を持してアラン・ドロンと共演した【フリック・ストーリー 1975】でも、やはり冬枯れのパリにオーバーコートの襟を立てていた。ドロンのコートスタイルと比較するだけでも語るに尽きない。


 

Jean-Pierre Melville 1917-1973

パリの空が白んでゆく。
丘から見渡す街並みには、鐘の音が静かに鳴り響いた。
ガス灯の薄明かりに、ケーブルカーがゆっくりと下降する。
“ モンマルトル、ここは天国と地獄を合わせたところだ ”

ネオンサインが消え、閑散とした広場のロータリーには散水車がやってきた。
夜と昼、街の顔が塗り替わる。
そのなか、トレンチコート姿の男が、ガラスドアの反射に一瞬向き合う。
“ 悪党顔だな・・・” そう吐き捨てて彼は立ち去った。
J=P.メルヴィル監督作【賭博師ボブ 1955】幕開きのシークエンスはこのひとの真骨頂。
コツコツと靴音が響く臨場感ある街頭ロケーションと、周密な演出によるカメラワーク。
それは旧(ふる)き良き映画という港から、新たな波の到来に向かって帆を上げたメルヴィル号、処女航海の新機軸に相応しいものだった。

パリ郊外の生まれ。幼いころから映画館に通っては日がな一日、スクリーンのまえに釘付け。それもハリウッドの活劇に薫陶を受けたという。フランク・キャプラ、ジョン・フォード、とりわけチャールズ・チャップリンは彼のなかで神の如き存在だった。親からカメラと映写機を与えられた少年は、ファインダー越しに何を見出したか。
やがていつしか自らをメルヴィルと名乗るようになる。これは【白鯨】の小説家ハーマン・メルヴィルから取られたもの。創作のルーツは船乗りにあった。
第二次大戦に従軍し渡英。そこでシャルル・ドゴール率いる自由フランス運動に加わり、レジスタンスの活動家として後(のち)のパリ解放を見届ける。

“ヌーヴェルヴァーグ・スタイル? あれは低予算で撮るための手段にすぎない”
ゴダールやトリュフォーら、後進の映像作家たちがメルヴィルを私淑した所以は、その手法やセンスもとより、彼の独立性に依拠する。
組合=体制に与(くみ)することを嫌ったメルヴィルの作品世界こそ、自主製作の賜物だった。
日陰の存在、トレンチコートを着た孤高の一匹狼が描かれる背景はそこにある。
【いぬ 1962】におけるジャン・ポール・ベルモンドとセルジュ・レジアーニの不器用な友情、【サムライ 1967】では、アラン・ドロンが死に急ぐ寡黙なヒットマンの化身となった。
自身の体験が反映された【影の軍隊 1969】では、綺麗ごとでは済まないレジスタンスの内実を、リノ・バンチュラの厚く大きな背中が物語っている。
そしてメルヴィル集大成といえる【仁義 1970】では、イヴ・モンタンが一発の銃弾に託した自己克己、その一瞬を見守ったドロンらとの奇縁が、見事に結実した。
名もなき男たちの挽歌。そこに手(た)向けられたメルヴィル・タッチの不定型詩が、見えざる韻律によって白む空の静寂(しじま)に息づいている。

この【仁義】の原題は【Le Cercle Rouge】赤い輪という。
始まりに際して、次のような文言が献辞される。
賢者シッダールタ、またの名を仏陀(ブッダ)は、ひとくれの赤い粘土を手に取り
それで輪を描いてこういった。
“人はそれと知らずに必ずめぐり会う。たとえ互いの身に何が起こり、どのような道を辿(たど)ろうとも、必ずや赤い輪のなかで結び合う・・・”と
ラーマクリシュナ

男たちが出会う先は、ハイウェイの駐車場や街外れの高架橋、ジャズバンドがいるナイトクラブでもあり、いつだってコート姿だった。緊張のベルトを解くことなく、ぶっきらぼうに何かを交わし、立ち去ってゆく。あるときは、ビリヤードのキュー先にチョークでそっと輪を描いて。
これはおそらくメルヴィル自身が製作現場に発ち、勝負に臨む際のテーゼでもあったのではないか。監督自ら衣装や美術も取り仕切ったという洒脱なセンスが、色味を抑えたスーツにソリッドタイ、磨き上げられた黒靴という紳士の嗜みから見て取れる。そこへもってトレードマークのテンガロンハットに大判のサングラス、これぞ問答無用。西部劇をこよなく愛したフランス人らしく、機知に富み、型にはまらないそのスタイルが、役者以上に板に付いていた。




文責在Northern Tailor




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