オーダースーツ札幌
小景コラム
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STYLE EVERMORE

 

Marcello Mastroianni 1923-1996

伊達男と呼ぶには憚(はばか)られる。
生涯に170本といわれる出演数は、稀にみる業績。
人気商売にあって、スター街道を走り続けた偉人。

【ヴィスコンティ】に【アントニオーニ】【フェリーニ】
【デ・シーカ】もいた。
イタリア映画の名匠たちに重用された。
【ヴィッティ】に【カルディナーレ】【バルドー】
【モロー】に【ローレン】がいた。
看板女優の花型相手として、判で押したように重宝された。
ドロンのような、トランティニャンのような、モンタンのような、突き抜けた先駆者ではない。
ドラマのなかで、彼の我が道はなく、女優ありきの伴走者だった。

マルチェロ・マストロヤンニ。
その悠揚迫らぬ佇まいには、一人称ではなく、いつだって双方向の哀歓が忍ばれる。
どこかに人恋しさを抱かせた。
纏(まと)うスーツも柔らかく、全体に要所で湾曲したシルエットは、手縫いの量感による妙。
上着の袖付けをわざと皺(しわ)寄せる手法は、イタリアン・テーラードの特徴の一つ。
着手の情趣を酌みとった作り手のぬくもりに、豊かな時間が波うつ。

画像は、ミケランジェロ・アントニオーニ監督作【夜 1961】で共演したふたり。
柳腰の佳人、ニットスーツを着流すモニカ・ヴィッティと並ぶ姿は、鯔背(いなせ)哉。
畏敬の念を込めて、やはり伊達男と呼びたい。


 

Rainier Ⅲ de Monaco 1923-2005


ヨットの航海。
沖へ出ると、ふたりの世界。
デッキに横たわり、ささやくように歌う。
While I give to you and you give to me
True love , true love
So on and on it will always be
True love, true love

コール・ポーター作曲【トゥルー・ラブ】
グレース・ケリー(1928-1982)の女優引退作となった【上流社会 1956】より
ビング・クロスビーとデュエットしたこの曲は、映画の挿入歌からシングル発売され、当時100万枚のヒットを記録したという。
クールビューティーと称されるグレース・ケリー。だが出演作では意外にも、笑顔が愛くるしい。おどけてみせたり、チャーミングな役所が目立つ。
それは年配男性からみた、あどけなさ。ロマンスの相手役は決まって年上の紳士だった。

バラードは婚礼へのはなむけ。1955年、カンヌ映画祭で彼女と出逢い、見初(そ)めた紳士がいた。
モナコ公国の大公、レーニエ三世。世紀のロマンスは、最盛期の女優を一国の王妃へと導く。
地中海に臨むコートダジュールの景勝地。人口約3万人の小国は、地勢的にも歴史的にも、常に外圧の緊張と背中合わせにある。
モンテカルロのヨットハーバー、F1グランプリ、WRCラリーなどの華々しいイメージは、戦後、大公とケリーによる国づくりの成果。まず何より、映画スターとの結婚がモナコに世界的な認知度をもたらす。外国からの移住者には所得税を課さず、湾を埋め立てた用地に港湾開発や化粧品産業などを誘致。カジノだけに頼らない、ふたりが立役者の名実相(あい)伴う観光立国となった。

君主にして、卓見の事業家。
外交に、ビジネスの最前線で渡り合う行動力が、スーツの装いからも伺えた。
ロイヤルファミリーといえば、まず、ダブルブレステッドスーツがつきもの。英国のチャールズ皇太子やスペインのファン・カルロス一世、そして日本も同様。しかし、大公の場合はシングルのスーツ姿が多い。
VゾーンからフロントカットにかけてのXラインに、絞りのドレープが動きを与える。また、胸と腰ポケットをみると、パッチ(貼り)&フラップ(ふた)をあしらったスタイルはアウトドアの仕様。活動的なスポーツ精神は、スーツの個性にも奏功の一役。


 

Marlene Dietrich 1901-1992

スターシステム。
ダイヤの原石はあらゆる角度から研磨され、えも言われぬ輝きを放つ。
メイク、照明、所作・・・技法を凝らした演出により、時代の陰影が際立つ。
こうしてシネマスターは見えを切り、モードの先導役を務めた。

30年代、クラーク・ゲーブルが素肌に直接、ワイシャツを羽織ると、若者が影響される。
ワイシャツの下に新風を吹き込んだ。
50年代、マーロン・ブランドが下着シャツ一枚の姿で、荒ぶる精神を、屈強な肉体を晒(さら)す。やがて下着は覆い隠すものから、魅せるTシャツへ。ストリートファッションとしての市民権を得た。

女性の場合はさらにドラスティック。性差を超越する。
トラウザースを穿くことが道徳的にタブーだった時代、ナイトクラブの舞台にテールコート(燕尾服)を着て現れたのは、マレーネ・ディートリヒ。
ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督が【モロッコ 1930】で創り上げた男装の麗人は、たちまち一世を風靡した。長身痩躯に細く弧を描いた眉、物憂げな佇まい・・・時代の花はアンドロジナス=両性具有の座標軸となる。
ドイツ出身の妖艶なスターは、反骨の歌手でもあった。ナチスのプロパガンダに利用されることを拒み、アメリカに帰化。総統ヒトラーに楯突き、堂々と連合軍の拠点でリサイタルを開催。兵舎を慰問してまわったという。
舞台ドレスのスリットから覗く際どさは、百万ドルの脚線美と謳われたが、紳士服仕立てのスーツ姿にも特筆すべき魅力がある。
かのオートクチュール・デザイナー、バレンシアガと創造性を共有し、ウィーンの紳士服店クニーツェは、彼女をイメージして香水までつくった。【モロッコ】の撮影に使用された、グリーンの1930年製ロールスロイス・ファントムは、映画会社から贈られたもの。未だにヴィンテージカーとして存在する。
マレーネ・ディートリヒというスターシステムは、虚像ではない。まぎれもなく実像として今日のモードを牽引し続ける。


 

Fritz Lang 1890-1976

“映画監督には著作権なんてないのさ”
フリッツ・ラングは笑って答えた。
ドイツ表現主義を代表する映像作家は、ナチスの台頭から逃れてアメリカへ亡命した。
ハリウッドの商業主義に前衛芸術を融合させる。
照明を駆使し、小道具のワンショットを間接的に用いた演出は、フィルムノワールの雰囲気だけではない。スリラーの心理効果として、後の数多の作品に影響を与えている。

ヒッチコックのサイコには、殺人鬼【M 1931】の人影が。
コッポラのゴッドファーザーには、【復讐は俺に任せろ 1953】の自動車爆破が。
オーソン・ウェルズの評決、ティム・バートン・・・
いずれも、ラング作品の手法を効果的にフィーチャーしたもの。
著作権がなかったおかげで、今日映画ファンはその恩恵に浴する。

画像はジャン・リュック・ゴダール監督作【軽蔑 1963】より
劇中劇に、ラング本人役で友情出演した。
ギリシア叙事詩、オデュッセイアの映画化という壮大なプロジェクトに取り組むが、傲慢なハリウッドのプロデューサー(左後ろ)とことごとく対立する。
脚本家役のミシェル・ピコリ(右後ろ)は板挟みにあい、右往左往・・・
舞台はローマのチネチッタ(映画撮影所)。かつてヨーロッパ最大の製作拠点が、アメリカの資本に牛耳られるところにも、風刺が効いている。

紺地のチョークストライプスーツは、シングル・ピークドラペルの華やいだ仕様。
上下一対(つい)のイーブン・ストライプタイを合わせる技に、構図が冴える。
そこへ極めつけは、キャンバスシューズ。麻縄(ジュード)を底に縫い付けた地中海地方の涼しげな履物、エスパドリーユ。
前衛か達観か・・・もはや貫録以外のなにものでもない。



文責在Northern Tailor




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